政経倶楽部【東京】第94回例会 10/4木(朝食会)

日時:2012年10月4日  開会:~ (開場:)
会場:ルポール麹町 東京都千代田区平河町2-4-3 TEL03-3265-5365 有楽町線「麹町駅」 1番出口より徒歩3分. 有楽町線・半蔵門線 「永田町駅」 5番出口より徒歩5分.
 

破天荒力2~二宮尊徳の遺訓

■講演:松沢成文氏 前神奈川県知事
「破天荒力2~二宮尊徳の遺訓」

1958年神奈川県生まれ54歳。慶應義塾大学法学部政治学科卒。松下政経塾3期生。1987年29歳で神奈川県議初当選、2期勤める。93年35歳で衆議院議員初当選、3期勤める。2003年神奈川県知事初当選、07年には200万票を超える支持を得て再選。2011年3月、東京都知事選挙への立候補を表明するも出馬を断念。4月、神奈川県知事を退任。5月、筑波大学客員教授に就任。
現在、一般社団法人首都圏政策研究所及び同スモークフリージャパンの代表理事などを務める他、吉本興業グループに所属し同社とともにエリアプロジェクトを推進する。近著に、『もしも国民が首相を選んだら~憲法改正なしで首相公選は実現できる』(マガジンランド)、『生麦事件の暗号』(講談社)、『二宮尊徳の遺訓~混迷のいまを生き抜く智勇(共著)』(ぎょうせい)等

●二宮尊徳の実像~様々な改革を試みた挑戦者
 “薪を背負って本(四書五経)を読む”像から、尊徳は「勤労少年」また「徳目を唱えたおじさん」との認識しかないかもしれない。しかし、実は、尊徳は、江戸末期の農村、武家、幕府に至るまで様々な改革を試みた挑戦者である。
尊徳を正しく理解することは、今を生きる私たちにとって大きな力となる。

●二宮尊徳との出会い~幼い日父親から教えられた
 私の幼いころの楽しみは、父の運転する自動車での箱根への一泊旅行だった。酒匂川(さかわがわ)を通るたび、父は尊徳の偉業を語った。「洪水のたび決裂していた酒匂川を、尊徳翁が松の苗を植え続けて強い堤防を作ったんだ」と。  
これが私と尊徳の出会いで、以後、いろいろな人の伝記も読むようになった。
 歴史や社会の大切なものは、親から子供に授けることが、大変大事なことであり、教育の基本だ。

●現地現場主義~高校の日本史の必修化
 40年後、私は神奈川県知事になった。松下幸之助から「現地現場主義」を叩きこまれた私は、二宮尊徳生誕の小田原市栢山(かやま)も回り、本格的に尊徳の勉強を始めた。知事の立場で多くの専門家にも話を聞け、情報も多く集まった。勉強すればするほど尊徳の偉大さを痛感した。だが、日本では、今、偉大な人物を教科書ですら教えていない。そこで、神奈川県では、高校での日本史の必修化を全国初で行った。同時に、尊徳の偉業を県民、国民に伝えたいと、2年前に本にまとめた(「二宮尊徳の破天荒力」)。
●「勤労は美徳」の価値観を作った尊徳~抑圧ではなく積極的な勤労観へ
 日本人は勤勉だと言われるが、太古の昔から勤勉だったのか。私は「勤勉は美徳だという価値観」を作ったのは尊徳だと思う。
 中世の封建時代は、領主が徴税権を握っていた。農民に働かせて、米を作らせて、税を吸い上げていた。こういう時代は、民が働くということは、税を払うためで、働かざるを得ない。ヨーロッパでも同じ。民は抑圧された存在で自由がない。農家は食べ物を作るが半分は税として治める。
 当然、人々がやる気を失い、貧困も止まらない。尊徳はこの働き方を変えようと思った。「税を治めるために仕方なく働く」働き方から、「自ら積極的に働いて、知恵を生む、価値を作り、世の中を豊かにして皆でハッピーになろう」という積極的な勤労観を作りかえた。
●報徳(ほうとく)手法(しゅほう)~「至誠(しせい)、勤労(きんろう)、分度(ぶんど)、推(すい)譲(じょう)」
 そこで、尊徳が考えた手法が「報徳手法」と呼ばれるものだ。
まずは「至誠」。真心を込めて誠心誠意、仕事に打ち込む。つぎに「勤労」。働く以上はきちっと働く。そして、尊徳の新しい価値である「分度」。足るを知る、という言葉があるが、自分がつつましやかに生きられる程度の目標を作る。そこで設定した分度以上に得られた余剰の収入は自分たちの将来に譲る、「推譲」。子供の教育、農機具の購入(自譲)、また、社会の経済活動活性化のため、震災への備えやボランティアとして譲る(他譲)。
 真心こめて一所懸命働いて、自分たちがつくった分度以上に収益が上がったら、将来や社会の為に譲っていく。こういう生き方を、個人も家庭も企業も農村も武家も藩もできたのであれば、その社会は必ず発展していくというのが、尊徳の考え方の基本だ。
●積(せき)小為(しょうい)大(だい)~小さいことからコツコツと
 尊徳は、報徳手法以外にも様々な、勤労の価値観を作りだした。一番有名なのが「積小為大」だ。「ちりも積もれば山となる」という言葉があるが、小さな仕事を手抜きをせずに積み上げていく行動があってこそ大きな仕事は成し遂げられるという基本的な教え。
 尊徳は、酒匂川の堤防に松を植えた。1年2年ではない。5年、10年、20年と続けることで松も大きくなり、堤防も強くなった。
 また、幼い頃、困窮のため預けられた親戚の家で夜の読書を油がもったいないと禁じられた折に、休耕田に菜種を植えて自分で油を作って火を灯して勉強した。尊徳は、このように何事もコツコツといちからはじめて実現していった。これが積小為大の考え方につながった。

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