千葉県支部例会第4回 講師:林英臣先生

日時:2011年2月23日  開会:~ (開場:)
会場:ホテルニューオータニ幕張
 

千葉県支部例会第4回 講師:林英臣先生

林英臣政経倶楽部連合会主席顧問・日本政経連合総研理事長
経営者のための「東洋思想入門講座」 第4回 吉田松陰と『孔孟剳記』
■挨拶 寒竹郁夫理事長
うちのグループは中国で、一気に4店舗同時展開の計画(歯科クリニックを上海・北京・大連の3箇所、上海の歯科技工所を買収)を進めている。その過程で日本の農産物を中国に輸出しないかという話が出てきた。早速、行政や詳しいと思われる政治家を訪ねた。しかし欲しい情報を得ることができなかった。今考えてみると当たり前だ。政治家や官僚は動きもせず、真剣でもない、従って集まるのはありきたりの情報(インフォメーション)のみ。本気で具体的に行動しなくては一級の情報(インテリジェンス)は集まらない。中国では色々な情報が錯綜し農作物の件は失敗のリスクがある。しかし真剣に行動することで、情報の確度や鮮度が高くなっていくはずだ。自らが動きそこで得た生きた情報をもとに事業展開していく。 
日本再生を本気で考えている会は日本広しといえども他にはない。将来的にいい情報、いい人材、資金が我々政経倶楽部に集まり、何年後かに起こる本質的な改革を実現できる唯一の会だと思う。
今日のテーマにもある吉田松陰というのは明治維新の起爆剤になった人だ。
松蔭の松下村塾のように人材を育て、集まる会にしていきたい。

■ 挨拶 吉田平千葉県支部長
 最近の世界的な情勢でいうと、様々な民主化の波がチュニジアに始まり、エジプト、中国と、中東から広がっている。これは何か特別なことのように見えているかもしれないが、実は歴史の大きな流れの中で起こっていることの一つなのではないか。
 林先生の勉強の中で、歴史は800年周期で東と西の文明が入れ替わっているという文明法則史学を勉強したが、これらは、次の大きな転換点が2012年になるといわれている、その転換点へ向かっていっている象徴のような気がしてならない。
 今回フェイスブックやSNSといったようなITの波が民主化の流れを広げたが、これは、日本においても、街頭演説をしていればいいという今までの選挙の戦い方、あるいは人に知られていないと勝てないというようなことを根本から変えてしまうだろう。
 そのような時代はまさに本質的、本物が残ることのできる時代であり、これが大きなうねりを作り出せる。私たちは千葉から日本を変えていくという想いで活動しており、今後もひとつひとつの勉強会が大事なものとなる。皆さんには是非継続して参加していただき、私たちと想いを共有し、勉強したことを具体的な活動を通して、一緒に実践していって欲しい。


政経倶楽部連合会千葉県支部第3回例会 2011年2月23日(水)
ホテルニューオータニ幕張

林英臣政経倶楽部連合会主席顧問・日本政経連合総研理事長
経営者のための「東洋思想入門講座」 
第4回 吉田松陰と講孟箚記(こうもうさっき)


■吉田松陰が活躍した時代背景:「幕末維新期はわずか15年間」
幕末の志士を育てた長州藩の侍、吉田松陰が活躍したのは、1953年のペリー来航から1868年の明治維新までの、たったの15年間だ。この短い間に改革のエネルギーが凝縮した。
今後10年間も、日本史上においていまだかつてない転換期になる。松陰の話はけっして過去の話ではない。共に学びあう精神で、今日は講義する。

■プロフィール:「短い期間に、人生をかけて日本改革の礎をおこした」
1830年天保元年長州藩生まれ。下級侍。杉家に生まれたが5歳で親戚の吉田家の養子となる。吉田家は、代々山鹿素行の山鹿兵学を講義する家だった。
20歳ごろまではおもに兵学を学び、25歳まで九州、東北など各地を遊学。黒船密航の企てに失敗して、萩の野山獄に入牢。その後30歳で処刑されるまでの約5年間が活動期。その活動期のうち約半分は牢屋の中か、護送の途中だ。自由の身であったのはわずかだった。短い期間に、人生をかけて、日本を変える礎をおこした。・・・

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