政経倶楽部【東京】第87回例会3/1木(朝食会)

日時:2012年3月1日  開会:~ (開場:)
会場:ルポール麹町 東京都千代田区平河町2-4-3 TEL03-3265-5365 有楽町線「麹町駅」 1番出口より徒歩3分. 有楽町線・半蔵門線 「永田町駅」 5番出口より徒歩5分.
 

日本創生への道

■講演:石破茂衆議院議員
「日本創生への道」


●昭和32年生まれの役割~たしかな日本を次世代に伝える
野田総理も私も、昭和32年(1957年)生まれの今年55歳。自民党でいえば、石原伸晃さんも同年生まれだ。この世代が政治を担うようになった。この世代は団塊世代とバブルも知らない若い世代との狭間だ。
“古(いにしえ)の方々に恥ずることなきように、また、次世代にたしかな日本を残す”責任を我々の世代は負っている。

●閣僚(大臣)とは何か~10分で指針を語れない大臣は要らない
議員も閣僚も内閣総理大臣も、何かを成し遂げるための手段なのであって、なること自体が目的ではない。当たり前のことだ。だが不思議なことに、「3日でいいから大臣やりたい」という人が何人もいる。
 大臣の選出方法で私には妙案がある。例えば「農林水産大臣をやりたい者は手を挙げよ」とし、当選1回でも10回でも候補者を募る。そして10分間で「何が問題で、解決するためどのような法律が必要で、そのための予算はどのくらい必要で、その財源の捻出方法は何か」を語らせる。それが語れないような人は要らない。2時間なら誰でも語れる。10分がポイントだ。10分でそれをきちんと語れないような人は大臣になってもだめだ。提案したがいつも却下された。

●自民党の完全リニューアルなしに政権が戻るのは国家の不幸
 どこの会社で「部長になってから考えます」で通じるだろうか。政界だけが不思議に「これから勉強します」という人が大臣になる。
自民党は極めて温情主義的な政党だった。「皆同じように役に就けてあげたい」ということがあった。当選回数順で同じように役を就けて、差をつけないことが、自民党が割れなかった秘訣だった。だから自民党は、内輪もめをおこさないで大きな政党でいられた。
 ところが野に下った。野に下れば、金ない、ポストない、権力もない。野に下ったのは、天が与えたありがたい機会だと思わなければならない。自民党の何がだめだったのかを検証し、完全にリニューアルしないと、今また、民主がだめだからと自民に政権が戻っても国家にとって不幸なことだ。
福田内閣で、私は4人目の防衛大臣だった。9か月の間で、久間大臣、小池大臣、高村大臣、石破茂。翌年の麻生内閣でも1年9か月の間に農林水産大臣は私で6人目。松岡大臣、赤城大臣、遠藤大臣、若林大臣、太田大臣、石破茂。 
 「防衛は国の基本だ」、「農林水産は国の要だ」などと言ってもこれでは誰も信じない。月毎に代わる大臣が国際会議に行って、日本が国際交渉力を持つわけがない。民間で専務が9か月に6人目で潰れない会社があるだろうか。国家だけこんなことが許されるのだろうか。

●「基盤的防衛力整備構想」
冷戦構造の時代は、日本は存在していればよかった。先般改めたが、冷戦期の防衛思想は「基盤的防衛力整備構想」というわけのわからない考え方のもので、ソビエトとアメリカの「力の空白」を埋めるということ自体が自己目的という不思議な防衛構想だった。
 「特定の脅威に対抗しない防衛力」「独立国として必要最小限の基盤的防衛力を保有する」という下りがあるが、このような概念は他の国にはないものだ。何かがあって、そのためにバランスをとる、というのが普通の防衛力整備の考え方だ。
 「勝てるのか負けるのか、お互いにわからない」となれば戦いは起こらない。つまり、力のバランスがとれており、冷静な判断力があること、国家が、自分の能力を知り、相手の能力も知っていること、これで戦いは起こらない。

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