政経倶楽部【東京】第115回例会(朝食会) 7/3木

日時:2014年7月3日  開会:~ (開場:)
会場:ルポール麹町 東京都千代田区平河町2-4-3 TEL03-3265-5365 有楽町線「麹町駅」 1番出口より徒歩3分. 有楽町線・半蔵門線 「永田町駅」 5番出口より徒歩5分.
 

憲法改正について

■講演
 片山さつき氏 参議院議員 自民党環境部会長・予算委員会理事

「憲法改正について」


【プロフィール】

1959年、埼玉県浦和市(現・さいたま市)生まれ。
東京大学法学部卒業後、1982年、大蔵省(現・財務省)入省。
フランス国立行政学院(ENA)留学。広島国税局海田税務署長、国際金融局課長補佐(女性初G7サミット政府代表団員)、主計局主計官など多くの「女性初」のポストを歴任。
2005年、衆院選初出馬(静岡7区)初当選。“小泉チルドレン”の代表格として、経済産業大臣政務官に抜擢。(衆院1期生初、政務官による国会答弁最多記録を更新)。
2010年、参院選(全国比例区)で自民党トップ当選(約30万票)。参議院自民党副幹事長、総務大臣政務官等歴任。現在は自民党環境部会長。その他、「尖閣諸島を守る会」特別顧問等。著書に「正直者にやる気をなくさせる!?福祉依存のインモラル」 (オークラNEXT新書)等


●自主憲法制定は自民党の党是。自民党「日本国憲法改正草案」(平成24年)

 平成24年、自民党は「日本国憲法改正草案」をまとめた。私は、起草委員23人の一人として、数十回に及ぶ委員会に出席し議論を重ねた。特に、「前文」「安全保障」「緊急事態」に関しては全ての委員会に出席し、意見も反映させた。
 きょうは、なぜ今、解釈で集団的自衛権を認める閣議決定をし、できるだけ早く法改正に持ち込まなければいけないか、についてお話し、皆さんにご理解いただきたい。
 まず、自民党の「日本国憲法改正草案」はどういう気持ちで作られたのか。自民党は、自主憲法の制定が党是だ。結党以来、鶏が朝の時を告げなくても自民党は自主憲法制定と言ってきた。しかし、本来、自民党にはかなり幅の広い人たちがいて、憲法についての考えも、相当幅が広かった。今回の「憲法改正草案」は、自民党が下野する間に、イデオロギー的に純化されてから作られたものであり、かなり保守色が濃いものになっている。
 自民党が、憲法改正に試金石を投げるのであれば、私は、これくらい筋を通したものであってよいと思う。


●現行憲法が作られたプロセス

 憲法が作られたプロセスは大事であると、私たちは思っている。憲法の始祖とも言われる宮沢俊義先生もそのような言葉を残している。
 独立を回復していない状況で、GHQ司令部の大変若くリベラルなアメリカ人が、パーツごとに担当して作ったというのは事実であり、彼らがいかに優秀であったとしても、日本の国柄や特質性を理解していたとは思えない。現行憲法は、そのような状況で極めて短期間で作られたものだ。
 マッカーサーとのやりとりを通じて、はじめは日本を完全に脱軍備化し、二度と軍隊が持てないようにするということが根底にあった。ただし、それは朝鮮戦争動乱の中で、変化してきた。
 警察予備隊から自衛隊まで、事実上、朝鮮戦争の間、我が国は、後方支援部隊の役割を担ったが、そのような事実はあっても、この時点では日本が二度と戦争が出来ず、二度とアメリカに向かってくることができないように憲法が起草されたことは明らかだ。


●学生時代の恩師、芦部信喜教授の真の思い

 東京大学法学部の憲法学というと、護憲の塊のように言われるが実際は違う。
憲法学の大家である芦部信喜教授は、私が在学中の東大法学部長だった方だ。
先生はあらゆる公的試験の入学試験委員だった。私は大学3年で、外交官試験の筆記と口頭試験をパスしていたがが、芦部先生の指導で大蔵省に入ることになった。芦部先生から「あなたは中退外交官にならずに、来年国家公務員上級職を受け、東大法学部卒として大蔵省に行きなさい。誰かが道を開かなければならない」と言われたのだ。
 630名の学生のうち15名しか女子学生はいなかった。その15名が無事に卒業し、きちんと職を得るにはどうしたらよいかということを考える方だった。 
 その芦部先生が「あの状況では仕方がなかったんだ」ということを私は直接聞いたし、宮沢先生もそういう言葉を残している。ある意味、日本の知性の柔軟性ともいえる。
 芦部先生は、「戦後はいつまでも続かない。いまの憲法は、戦後から抜け出せない状況では日本にとってベストだが、恒久的なものではない。憲法は改正できるし、いつかは東大法学部卒業生がそれをなさなければならない」とおっしゃっていた。 芦部先生が、憲法を一言一句変えてはいけないと思っていたと思うのは、あまりにも実際と違い過ぎる。ただし、弟子と名乗っている何名かの学者を見ると、学説というものは何代かたつと硬直化するのだなと思う。学説というものは、元祖の部分ではやわらかいのだが、伝わるうちに固くなる。私はそれを感じ、危険だと思う。そういう意味で、ずっと改正を考えてきた。


●主要国の憲法改正回数

 自民党は、平成22年に発表した党の綱領においても「日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す」とした。
 諸外国でも、現実の姿と憲法が想定している姿が変わってしまえば、改正をしている。例えば、戦後の改正回数は、アメリカが6回、フランスが27回、イタリアは16回、ドイツは59回も憲法改正を行っている。
 二度の世界大戦で負けているドイツが59回も憲法改正を行っていることはショックだった。我が国は1回も変えていない。

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