政経倶楽部連合会 8月度 千葉県支部【第123回】・東京支部【199回】合同例会(8/18 水)のご案内

日時:2021年8月18日  開会:18時00分~20時00分 (開場:17:30(※Zoom待機室開放:17:45))
会場:ホテルグリーンタワー幕張 千葉市美浜区ひび野2-10-3 TEL 043-296-1122 JR海浜幕張駅徒歩3分
 

「こうと決めたら田中甲! 2022千葉県市川市長選への挑戦~政党選挙からの脱却」

■田中 甲 氏 元衆議院議員・内湾開発(株)代表取締役

「こうと決めたら田中甲!2022千葉県市川市長選への挑戦~政党選挙からの脱却」


【田中 甲(たなか こう)氏プロフィール】

昭和32年1月千葉県市川市生まれ 64歳
日出学園小学校  立教中学校(池袋)
立教高等学校(新座 寄宿舎)  立教大学社会学部 牛窪ゼミ
市川市議会議員  千葉県議会議員 2期  衆議院議員 3期
ワシントン D.C. リーダーシップインスティテュート
一般社団法人 白川学館 専務理事
内湾開発(株)代表取締役 ミヤコ興業(株)代表取締役 (株)六甲 代表取締役
(公財) 太平洋戦争戦没者慰霊協会 代表理事 大本山 中山法華経寺 総代

著 書 2045発目の核(PHP研究所)、きこえますか子どもからのSOS(ぎょうせい)、新世紀日本の創造(明光企画)、尊命の時代(きんのくわがた社)、支配を超えて(新日本文芸協会)、創造主義(リベラルタイム出版社) 
漫画でわかる政治(YouTube で配信中)



●神道哲学の中今、幽顕、常若に根ざした、公の精神第一の政治をめざす

本日の話のキーワードは、中今(なかいま)、幽顕(ゆうけん)、常若(とこわか)だ。政治家の話ではないかに見えるかもしれないが、そんなことはない。
中今は中今哲学、幽顕は幽顕哲学と言われ、神道の代表的な哲学だ。政治もまつりごとなので、自然の大きな流れというものをしっかり捉えていかなければいけない。自然に反すれば、大きなひずみができて、災害も招いていくことになっていく。


●千葉県市川市生まれ。4人兄弟の末っ子。スポーツにあけくれ青春を謳歌

まずは、自己紹介からはじめさせていただく。
私は、昭和32年1月、千葉県市川市生まれ。4人兄弟の末っ子で、風呂屋の次男坊だ。父は亀戸で鉄鋼会社を経営していた。兄の名前は乙(きのと)、私も本名は甲(きのえ)だ。
30歳で市議選に出る際、甲(こう)と読ませた。その時の後援会の青年部の男性が「こうと決めたら田中甲!」というキャッチを考えてくれ、以来、私のキャッチフレーズとなっている。

祖父は田中幸之助という。松下幸之助氏と同じ名前でご縁を感じる。祖父は県会議員をしていた。晩年は、行徳で東西線誘致に尽力した。区画整理組合の理事長も務め、地域の皆さんに貢献した。後年、私が市川市行徳を地盤に選挙に出て当選できたのも、亡き祖父のおかげだった。
1964年東京オリンピックの年は、私は小学校2年生。小学校の1年後輩に寒竹ファウンダーがいた。7歳にして既にご縁があったわけだ。最初の選挙は小学校5年生の児童会副会長選挙で、圧勝した(笑)。高校時代、スポーツに夢中で、サッカーのゴールキーパーをした。大学では、ヨット部にも入り、青春を謳歌した。


●政治家になるきっかけは、27歳。伯父との東海道五十三次の旅

政治家になるきっかけは、伯父にもらった。伯父は祖父の秘書をしていたが独立、旅行好きで世界各国回っていた。ある時、「日本人なら東海道五十三次を歩きたい」と言い出し、私が荷物持ちで同行することになった。東海道五十三次、753キロ、23日間の旅だ。
日本橋から歩き始めて3日目。足にできたマメが引っ張られて破ける、そんな状態の時、箱根の峠茶屋で伯父が突然、「お前は政治家にはならないのか」と言った。「いや、政治家にはなりたいという気持ちはあるけれど、自分にできるだろうか」と、私はつぶやいた。すると、伯父は、立ち上がり、こう言い放った。「政治家になることくらい決断できなくて、男か!」と。
その後の20日間、歩きながら考えた。自分が政治家になって何ができるのか。旧宿場町や海岸線を歩き、いろいろ出会いもあった。その中で、障害手帳を持った男性に呼び止められ話もした。「日本のためにお兄ちゃん、働いてくれ」とも言われた。この旅で、私は政治家になろうと決めた。


●30歳で市川市議、33歳で千葉県議、36歳で衆議院議員

その後、私は、染谷誠衆議院議員(自民党)の選挙を手伝うなどし、政治家との交流を初めて持った。そして、30歳で市川市議会選挙にトップ当選。3年後、県会議員の補欠選挙が巡って来たので出馬、これもトップ当選した。
そこで、野田佳彦県議と出会った。野田さんの議会で登壇したときの堂々たる質疑を見て、これで千葉は変わると実感した。
また当時、千葉県警察の所長が井上幸彦氏(第80代警視総監)だった。井上所長の議場での答弁の素晴らしさにも圧倒された。
その後、県議会議員の本選挙も当選し、1993年、36歳の時には、新党さきがけから衆議院議員選挙に出馬し、初当選した(最後の中選挙区制)。

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