政経倶楽部【東京】第109回例会(朝食会) 1/9木

日時:2014年1月9日  開会:~ (開場:)
会場:ルポール麹町 東京都千代田区平河町2-4-3 TEL03-3265-5365 有楽町線「麹町駅」 1番出口より徒歩3分. 有楽町線・半蔵門線 「永田町駅」 5番出口より徒歩5分.
 

佐藤一斎(さとういっさい)~幕末の志士3千人の師、その教え方と育て方

■講演 林英臣氏 政経倶楽部連合会主席顧問・日本政経連合総研理事長



「佐藤一斎(さとういっさい)~幕末の志士3千人の師、その教え方と育て方」



●やまとことばで書かれている人類の根本神話「古事記」

 冒頭、吉田理事長より「古事記に見る志の大切さ」のお話があった。

 古事記には、順を踏んで物事をすすめることの大切さが書かれている。つまり、古事記をきちんと読めば“日本人としてどう生きたらよいか”が鮮やかに見えてくるわけだ。しかも、宇宙の成り立ちから書かれているので、まさに、人類の根本神話と言える。

 また、古事記は、全編がやまとことば(日本固有の言葉)で書かれている。その、やまとことばは根本言語と言っていい内容を持った言語だ。

 人類の根本神話である古事記、根本言語であるやまとことば、これらを持っているのが私たち日本人だ。このことをしっかり腹に据えて、私たちは国難を切り開いていかなければならない。



●国難とは、原点を失うこと

 何が国難かといえば、原点を失うことだ。

現象的な国難への対処も抜かりがあってはならない。しかし、根本を失うことはもっと怖いことだ。

だが、我々日本人は、原点を失ってはいない。であるならば、我が国の原点をしっかり受け止めて、我が国の使命をとことん信じ抜いて、将来を切り開いていくばかりである。



●国難の今、取り戻すべきは「帝王学」

 あらゆることには原因と結果がある。因果の法則である。

幕末になぜ志士が育ったのかといえば、武士道教育があったからだ。世の為、人の為に生きよう、という儒教精神を幼いころから教えられていた。

 本(もと)があったから、人が育っていったわけだ。

そうであるならば、現代においても、日本の危機を救うべく、志士政治家を育てる本(もと)を起こせばいい。そこで、私は10年前、政治家天命講座を起こした。最初は小さい集まりで、続けられるか不安だった。だが、現在100名を超える地方議員、3名の市長、5名の国会議員を有するまでになった。事を成すにはまだまだ小さな集団だが、一歩踏み出すことはできた。

 集まりになる本(もと)を私は起こしてきたつもりだ。

その本(もと)とは教育であり、ひとことでいえば「帝王学」だ。

 世間一般では、帝王学というと時代錯誤との見方もある。しかし、指導者は指導者の学問を勉強しなければ指導者にはなれない。

 帝王学という言葉が重ければ、指導者学、リーダー学と言ってもいい。

この帝王学が、明治以降、否定された。大正時代には、英雄など必要がない、などという議論もはびこっていた。昭和に入り反省が起こったが、戦後また消えてしまって今日に至る。

 つまり、日本は、明治になって西洋化と共に帝王学を忘れ、そして敗戦によってまた失い、2回強烈なパンチを受けているのだ。

 今一度、私たちは、指導者学というものを取り戻していく必要がある。



●佐藤一斎は「帝王学+実学」。門下に、佐久間象山、吉田松陰。また西郷隆盛

 帝王学を存分に表しているのが、佐藤一斎の「言志録(げんしろく)」だ。

佐藤一斎(1772年~1859年・安永1~安政6年)は、美濃岩村藩の重臣の家に生まれた(江戸の岩村藩邸で誕生)。江戸後期の儒学者で、幕末志士たち、共通の師匠だった。

 直弟子には、佐久間象山、横井小楠(福井藩の政治顧問)、中村正直(明治の啓蒙思想家)、山田方谷(備中松山藩藩政改革)らがおり、佐久間象山門下から勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰が育ち、吉田松陰門下から高杉晋作、久坂玄瑞、木戸孝允、伊藤博文らが育っている。

 また西郷隆盛は、直接会ってはいないが、佐藤一斎の書から101条を抜粋して自分用の抄録にまとめ、座右の書としていた。

 出会ってなくても、残された書を読むことにより、通常の弟子以上に育つということがある。文字に残すこと、言霊に残す。これがいかに大事かがわかる。

特筆すべきは、佐藤一斎の教えは、帝王学であると同時に実学であることだ。実学とは、実際に生かせる学問だ。単なる知識、教養を高めるだけの講座ではない。帝王学+実学であり、それが本日の学びとなる。



●「陽朱陰王」、陽(表面)は朱子学、陰(内側)は陽明学(知行合一)

 佐藤一斎は幕府の儒官である。ゆえに表面は幕府の御用学問である朱子学を奉じていたが、中心には王陽明の「知行合一(ちこうごういつ)」の陽明学が据えられていた。それは「陽朱陰王(ようしゅいんおう)」と評された。

 当時、朱子学はいささか形式ばっており体制擁護の学問となっていた。そもそも朱子の教えに対抗したのが陽明学で、朱子学と陽明学は対立関係にあるのだが、佐藤一斎は両者の思想を一つにまとめあげた。

もともと異なる思想を一つに繋げるのは日本人の得意とするところだ。

 一般的な儒学の教育はどうしても形式化する。ただ教科書を読むだけの藩校の教育に飽き足らなかった高杉晋作や久坂玄瑞が吉田松陰の松下村塾の門を叩いたわけだ。黒船が来て、国難の時、「自分たちは何をしたらいいのだ」と湧き上がる思いを受け止めてくれる師匠を、若者たちは求めていたのだ。

 現代において、その役割が、まさに政経倶楽部であり、林塾である。そう信じて進んできている。



 

◆佐藤一斎 言志録(げんしろく)より

 (参考:「佐藤一斎著 言志四録(一)言志録」 講談社学術文庫)



佐藤一斎は、言志四録(言志録・言志後録・言志晩録・言志耋録)を42歳から80歳過ぎまで執筆した。四録合せて計1133条にものぼる。

今日は、その第一巻「言志録」から15条を選りすぐり、一斎の核をお伝えする。



●6条【学は立志より要なるはなし】

学(がく)は立志(りっし)より要なるは莫(な)し。而(しこう)して立志も亦(また)之(こ)れを強(し)うるに非らず。只(た)だ、本心の好む所に従うのみ。



【訳:勉強は志を立てることが何より肝要だ。だが外から無理やり、あれやれ、これやれと強制すべきものではない。本人の本心の好むところに従うばかりだ。】



 無理やりやらせるのは洗脳だ。志は、相手の原点にあるものを引き出さないと上手く出てこない。本人が腹の底から納得しているかどうかが大事だ。さらにそこから湧き上がるものを天とつなげなければいけない。



●10条【自ら省察すべし】

人は須(すべか)らく自ら省察(せいさつ)すべし。

「天(てん)何の故にか我が身を生出(うみいだ)し、我れをして果して何の用にか供(きょう)せしむる。我れ既に天の物なれば、必ず天の役(やく)あり。天の役共(きょう)せずんば、天の咎(とが)必ず至(いた)らむ。」

省察して此(ここ)に到れば則(すなわ)ち我が身の苟(いやし)くも生(い)く可(べ)からざるを知らむ。



【訳:人が当然すべきことは、自らをよく振り返ることだ。

「いったいなぜ天は自分をこの世に生み出し、何をさせようとするのか。

自分は天(神)の物であるから、必ず天職がある。この天職を果たさなければ、天罰を必ずうける」と。ここまで反省、考察してくると、自分はいい加減にこの世に生きてはいけないということがわかる。】



 己の中の原点をよく見て、よく掴み、天(世の中、日本、世界)から何を託されているのかを考えることが肝要だ。己と天をつないでいくと“天人合一”となる。この天人合一が腑に落ちた時、東洋では“悟り”と言い、仏教では“梵我一如(ぼんがいちにょ)”と言う。

 私自身を振り返ってみても、大変不器用な私が皆様のお役に立たせていただくために講師という役割をしている。死ぬまで天命を全うする所存だ。

 皆さん一人一人にも天命がある。このように、天と己が結ばれた大きなところに自分を解き放っていただきたい。
しかし、同時に、小さな日常動作も大切だと一斎は教える。

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