政経倶楽部連合会 【2月度 東京支部 Zoom オンライン例会(2/4・木)】のご案内

日時:2021年2月4日  開会:AM 8:00~AM 10:00 (開場:AM 7:45(待機室開放))
会場:Zoom(オンライン) 
 

「伊能忠敬~50歳からの挑戦・国防の為、前人未踏の日本地図作成」

■岡田幹彦氏 歴史人物研究家 日本政策研究センター主任研究員 

「伊能忠敬~50歳からの挑戦・国防の為、前人未踏の日本地図作成」


【岡田幹彦氏プロフィール】

昭和21年北海道生まれ。国学院大学中退。
学生時代より、日本の歴史、人物の研究をつづけ、月刊『明日への選択』に
多くの人物伝を掲載中。『歴史街道』『歴史通』などにも寄稿。
全国各地で歴史人物の講演活動を行っている。
著書多数。『東郷平八郎』『乃木希典』『小村寿太郎』(展転社)、
『日本を護った軍人の物語』(祥伝社)、
『日本の誇り103人』(光明思想社)、
『二宮尊徳』、『維新の先駆者』『親日はかくして生まれた』(日本政策研究センター)、
『日本の偉人物語①二宮尊徳・坂本龍馬・東郷平八郎』
『日本の偉人物語②上杉鷹山・吉田松陰・嘉納治五郎』
『日本の偉人物語③伊能忠敬・西郷隆盛・小村壽太郎』
『日本の偉人物語④塙保己一・島津斉彬・乃木希典』
『日本の偉人物語⑤中江藤樹・高杉晋作・明治天皇』(光明思想社)
『西郷隆盛』(明成社 まほろばシリーズ)等



伊能忠敬は、千葉が生んだ日本の偉人だ。
わが国初めて正確な科学的な地図を作った。誰もがご存じだ。
江戸後期、人生50年の時代に50歳から第二の人生を始め、歴史に輝く偉業を成し遂げた。今、伊能忠敬は、中高年の星としても再評価されている。55歳から16年間日本全国を歩いた。3万5000キロ。地球一周分だ。
伊能忠敬はいかなる人物であったか。簡単に少年期から年代順にお話する。

 
●少年期の伊能忠敬(17歳まで)。すぐれた人々の恩恵を受けて猛烈に学ぶ

伊能忠敬は、千葉県のすぐれた歴史と風土の中から生まれた。生まれは、江戸後期。延享2年(1745年)、上総国山辺郡小関村(千葉県山武郡九十九里町小関)の名主、小関五郎左衛門の次男として誕生した。
非常にすぐれた少年で、立派な父、伯父、親戚の人々から感化を受け、17歳まで学問に励んだ。
性格は、誠実で正直。謙虚で意志が強く、毅然とした精悍さがあり、几帳面、不屈不撓の努力家、何より根気が強い少年だった。また、きわめて信仰心が厚い少年だった。向学心、向上心も強かった。特に、数学、暦学、天文学に深い関心を持っていた。当時は、儒教、漢学が主流だが、忠敬はこれに加えて理数系の学問に深い関心を持っていた。


●忠敬を育てた、両総の黒潮文化と好学的風土

千葉県は、上総、下総、安房の3つの国から成る。上総と下総を合わせて両総という。この両総の歴史と文化が忠敬という人物を生み出した。
九十九里浜では、16世紀から、地曳網漁業が発展していた。そこでたくさんイワシが獲れた。獲れすぎで余ったイワシは肥料、干鰯(ほしか)にした。その干鰯の生産地として裕福な網元や名主が出現し、彼らから和風文化が栄える。
裕福な網元や名主は、江戸から文化人を呼び、和歌、俳句、書道、絵画などを習う。江戸の学者も料理も美味しい両総に喜んでやってきて、一所懸命教える。そこに黒潮文化と言われる好学的な風土が育ち、文化人、教養人が多数生まれた。
両総地域には、漁業のみならず、農業、酒造業、醤油業も発達する。また、利根川を利用する水運業も栄えた。
土着した中世武家出身者が、地方の旧家、名主として諸産業の発達と黒潮文化を担った。忠敬が生まれた小関家、親戚の家々の神保家、平山家しかり。また、婿入りする佐原の伊能家しかり。
両総の農村部では、とくに和算が流行した。江戸時代は全国に寺子屋が栄えるが、千葉県では寺子屋の倍のそろばん塾が栄え、すぐれた和算家も多数出た。
忠敬の周りにも学者がいた。また、将来の妻となる達(みち)の祖父、伊能景利は佐原村一帯の地域の歴史の実態を伝える膨大な資料を編纂した人物だった。
忠敬はこのように両総地方の黒潮文化の土壌を背負って生まれ育ち、幾多のすぐれた人々から人間的学問的感化を深く受けつつ、熱烈な向上心・向学心をもって真剣に学び続けた。晩年の大飛躍はこのような環境があったからと言える。

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