政経倶楽部【東京】第102回例会 6/6木(朝食会)

日時:2013年6月6日  開会:~ (開場:)
会場:ルポール麹町 東京都千代田区平河町2-4-3 TEL03-3265-5365 有楽町線「麹町駅」 1番出口より徒歩3分. 有楽町線・半蔵門線 「永田町駅」 5番出口より徒歩5分.
 

戦後国家と意思決定システムの歴史―決められる政治への手がかりを探る

■講演 村井哲也氏 明治大学法学部講師
「戦後国家と意思決定システムの歴史―決められる政治への手がかりを探る」

【プロフィール】
1969年 東京生まれ43才。1995年 神戸大学法学部卒業。2005年 東京都立大学大学院社会科学研究科にて博士号取得(政治学)。専攻は近現代の日本政治史。特に、首相の権力を中心にした国家の「意思決定システム」の歴史変遷について研究している。2008年 単著『戦後政治体制の起源 吉田茂の「官邸主導」』(藤原書店)。2012年 日経ビジネスオンライン連載『首相の権力 この国はどう決断してきたのか』(全20回、2012年)。現在、日経BP社から刊行を予定して、書籍版を執筆中。明治大学法学部兼任講師、一般財団法人「日本再建イニシアティブ」リサーチャー


はじめに―歴史の中の政権交代時代―
幕末維新、あるいは明治国家の人物ばかりを「英雄」的に取り上げる風潮が、現在の「意思決定システム」の議論を歪めている。戦後国家の人物(首相)とシステムを一体として論じることこそ、いま必要だ。本日は、そのようなお話をさせていただきたい。

●システム運営の視点が欠落したロマンだけの「坂本龍馬」はいらない
まず、本日の最大のメッセージは、カギカッコつきの「坂本龍馬」は一人たりとも作ってはならない、だ(笑い)。ビジョンと大志のロマン思想だけで、システムの運営や機能の視点が欠落する「坂本龍馬」は飽和状態だ。
いまプロジェクトで体系的に現役国会議員にインタビューをしているが、個人で龍馬のように動けば何とかなると思っている人が多い。たしかに幕末において龍馬は素晴らしい人物だったが、現代において龍馬のビジョンだけを描いて英雄になりたい人たちもいる。
見識と胆力は政治家にとって大切だ。だが、それだけで政権は動かない。システムの議論が非常に脆弱になっていることを危惧している。政経倶楽部には、カギカッコつきでない坂本龍馬を1000人つくって欲しい。

●「歴史学(人重視)と政治学(制度重視)の断絶」を埋めるのが私の仕事
現在の日本において、歴史学・歴史小説と政治学とが断絶しているのが大きな問題だ。明治の歴史小説は、英雄史観が中心で人物に対する「過剰な資質論」となる。「制度」はあまり研究しない。一方、政治学は、アメリカに影響を受け「制度」ばかり研究し、「過剰な合理論」になる。人はあまり見ない。
 この2つをブリッジしているのは、「政局談義」だ。政治家の元秘書や番記者がストーリーを書くと本としては売れるが、人物中心で真偽も定かでないものも多く、制度にはほとんど触れない傾向にある。
 また、政治学では、1970年代以前の研究がされていない。それはそれでよかった。なぜなら自民党の長期政権が続いていたからだ。長期政権が続くということは意思決定がルーティン化するということ。つまり歴史を振り返らなくてすんだ。しかし、90年代に入り、自民党が動揺期に入ると、意思決定システムを真剣に考えなければならなくなった。

●歴史の資料の検証なくしては、将来の国家戦略は描けない
 その時、道しるべとなるキーワードは「古今東西」だ。諸外国を研究する「東西」のみならず、日本の歴史に学ぶ「古今」が肝要だ。
 情報公開を格段に進めた民主党への政権交代は、やはりあって良かった。自民党の長期政権時代には、都合の悪い資料はなかなか出てこなかったからだ。歴史の資料の検証なくしては、将来の国家戦略を描けない。つまり、情報公開をしない国は、将来の国益が損なわれるということだ。
政治学でも歴史学のあいだにある1960年代から1970年代の断絶は、国益のためにも埋めなければならない。「政局講談」でなく歴史の教訓を今にブリッジすることこそ、「政治史」学者としての私の使命だ。

●「人」と「制度」と「時代」が政治を作る
 意思決定システムとは、生き物だ。時代状況によって、融通無碍に姿を変える。それを見抜くことができる人物が、時代に選ばれた国家のリーダーということになる。政治は生臭い人間の営みだからだ。
 時代によって、必要とされる人材、制度は違う。よって、「人」と「制度」と「時代」、この3つくらいは最低限、見ておかなければならない。
 例えば、明治時代の国家は小さくシンプルだった。だから人が動く余地があり、伊藤博文の力は甚大だった。今や、1億2000万人の巨大な経済大国を個人だけでは動かせない。「政治家は小粒になった」と言われるが当たり前だ。現在の国家は、行政国家化しているうえに政党政治が基本だ。だから、「坂本龍馬」をご都合主義であてはめることは危険だ。

1.吉田ワンマンと政官関係:その光と影
●政治主導の4つの条件
今日は大きく3つに分けて話をする。まず、「吉田ワンマンと政官関係」ということで、政治主導の条件を吉田茂の事例から4つほど見ていきたい。
① 官僚は単独では権力を主導できない~パトロン探しが大事な仕事
1945年8月末、厚木にマッカーサーが降りGHQの占領が始まった。これは「間接占領」と呼ばれる。直接すべての占領統治をGHQが担ったら膨大な人的・資金的なコストがかかる。そこで日本の優秀な官僚機構を間接的に活用する方向となった。だから、当時、官僚幹部で公職追放を受けた者は少数にとどまったわけだ。
 一方、政治家は財界人と共に公職追放が徹底され、優秀な政治家がごっそり抜けてしまった。つまり、政党の政権担当能力が著しく低下する状況が生まれた。するとよけいに官僚機構が、国家の中枢を占めることになった。
 だが、官僚機構は基本的に単独では権力を主導できない。政治権力というパトロンがあって初めて動ける。ゆえに官僚のいちばん大事な仕事はパトロンを探すことだ。このときの官僚機構は、GHQをパトロンとした。

② 官僚機構は、政治権力をセクショナリズム化する
しかし、日本の官僚機構は甘くはない。各省庁が逆分割するというか、GHQ内部をセクショナリズム化した。大蔵省には大蔵省の、商工省(現在の経産省)には商工省のGHQ担当セクションがあったわけだが、各々がパトロンを作り、各省庁の応援団にさせた。
つまり、自民党の族議員と同じ構造で、GHQは官僚機構にバラバラにさせられたわけだ。民主党の政務三役も政権後半、同じ構造になった。政治権力は、本来、一体性があってこそ強大な権力が発揮してセクショナリズムを突破できる。これを意識していないと、バラバラに逆分割されてしまう。

③ 「選択と集中」のための組織と予算の膨張できず
第一次吉田政権(1946年5月~1947年5月)では、吉田は与党を掌握しきれず、官僚機構にも反乱を受け挫折した。戦後の荒廃の中で、限りある予算と人員を経済復興に重点投資したかったが、官僚のセクショナリズムの抵抗で、「選択と集中」ができなかった。吉田は行き詰って下野した。
 つまり、官僚機構は単独では、組織と予算の膨張を抑えることはできない。それができるのは政治権力だけである。

④ 官僚派人脈による「選択と集中」で戦後最大の財政削減と行政整理
 1949年1月の総選挙で圧勝した第三次政権においては、与党を掌握し、GHQの信頼も得て吉田ワンマンが確立した。しかし、吉田は制度的にはセクショナリズムを継続させた。あえて各省庁を縦割りのまま放置した。バラバラの方が統治しやすかったからだ。
 では吉田はどのように統合したのか。吉田は、総選挙で生まれた大量の新人
議員(佐藤栄作、池田隼人ら吉田チルドレン)による官僚派の人脈を使い、制度的にバラバラなものを統合していった。これが吉田ワンマンの構造だ。これにより、犠牲を厭わぬ「選択と集中」を断行し、戦後最大級の財政削減と行政整理を通じて、日本は経済復興を成し遂げた。ここから言えることは、現状維持を突破できるのは政治権力だけだということだ。

image

※続きは会員専用ページでご覧いただけます。