政経倶楽部【東京】第164回例会(朝食会) 8/2 木

日時:2018年8月2日  開会:~ (開場:)
会場:ルポール麹町 東京都千代田区平河町2-4-3 TEL03-3265-5365 有楽町線「麹町駅」 1番出口より徒歩3分. 有楽町線・半蔵門線 「永田町駅」 5番出口より徒歩5分.
 

昭和天皇~日本の日本たる所以は、皇室の存在にある

■岡田幹彦氏 歴史人物研究家 日本政策研究センター 主任研究員 

「昭和天皇~日本の日本たる所以は、皇室の存在にある」


【岡田 幹彦 氏プロフィール】

昭和21年北海道生まれ。国学院大学中退。
学生時代より、日本の歴史、人物の研究をつづけ、月刊『明日への選択』に
多くの人物伝を掲載中。『歴史街道』『歴史通』などにも寄稿。
全国各地で歴史人物の講演活動を行っている。
著書多数。
『東郷平八郎』『乃木希典』『小村寿太郎』(展転社)、『日本を護った軍人の物語』(祥伝社)、『日本の誇り103人』(光明思想社)、『二宮尊徳』、『維新の先駆者』『親日はかくして生まれた』(日本政策研究センター)、
『日本の偉人物語①二宮尊徳・坂本龍馬・東郷平八郎』、
『日本の偉人物語②上杉鷹山・吉田松陰・嘉納治五郎』(光明思想社)、
『西郷隆盛』(明成社 まほろばシリーズ)等



●皇室は世界唯一の存在~有力武士らも天皇になろうとはしなかった

神話の時代から、わが国は国家の中心に天皇皇室を戴き、一度も断絶なく、革命なく続いてきた。日本以外にこのような国はない。世界唯一の存在だ。
世界遺産という言葉を使うなら、これ以上の世界遺産はない。
歴史上、天皇を超える実力者は現れても、天皇になろうとはしなかった。
源頼朝でも北条氏でも足利市でもまた徳川氏でも、なろうと欲すればいつでも天皇になれたのにそれをしなかった。なぜか。松本清張も指摘しているが、歴史学者はこれを十分に説明はしていない。
私は50年間考えた。その答えは、昭和天皇のご生涯、特に、終戦の御聖断の歴史に見出せると思う。
大東亜戦争敗戦という日本民族最大の危機に対して、昭和天皇がいかなる思いで、いかなる行動をなされたか。この歴史を学ぶことは、今日の国難を打開する上で大きな指針となる。


●「終戦の御聖断」~ポツダム宣言受諾は昭和天皇なくして全うできなかった

戦争は始めるときも大変だか、終わらせるときはもっと大変だ。
ポツダム宣言受諾をめぐって賛成派と反対派が真っ二つに分かれ、御前会議(最高の意思決定機関)において非常の措置として天皇陛下の御聖断が下された。

御聖断は、昭和20年8月10日と14日の2回。天皇の他の列席者は7名(首相、外相、陸軍大臣、海軍大臣、参謀総長、海軍軍令部総長、枢密院議長)。
ポツダム宣言を受諾する旨の天皇の言葉に、全員が号泣した。
ポツダム宣言の諾否にこれほどまでに対立したのは、受諾した場合、天皇皇室を守れるか否かの1点にあった。ポツダム宣言には、天皇皇室の文字は一字も書かれていなかった。これにはアメリカの深い魂胆があった。
「天皇皇室の地位は認めることを、アメリカ政府にきちんと約束させよ」と受諾に反対したのは阿南惟幾陸軍大臣だった。正論だ。鈴木貫太郎首相は受諾賛成だった。賛成4、反対3で押し切れないこともなかったが、これほどの重大事を1票差では決められない。そこでご聖断となった。
昔は天皇の独裁政治なのだろう、などということはない。天皇の決断で国家の重要時を決めたことは1回もない。必ず最高指導者が十分協議し、全員一致となって、それが国民の声であるということで天皇が裁可される。
日本の民主主義は、古事記から始まっている。天岩戸(あまのいわと)に隠れてしまわれた天照大御神にいかにお出ましいただくかという時、皆で話し合ったことから始まっているのだ。

さて、ポツダム宣言13か条だが、これは日本に無条件降伏を要求したものではない。有条件降伏だ。アメリカは、初めは無条件降伏を求めた。日本のような悪魔みたいな国は根本から破滅する、という目論見だった。だが、沖縄や硫黄島での凄まじい戦いや航空機や人間魚雷、回天による特攻作戦がアメリカに与えた心理的打撃は我々の想像を絶するものだった。無条件降伏を要求する限り、アメリカ軍人の犠牲は計りしれないということでアメリカ側は引っ込めた。その結果の有条件降伏だ(6条から13条の8か条の有条件降伏)。
アメリカとしては、日本の戦いの原動力である大和魂、日本精神の核心である天皇皇室を永遠に抹殺したいと考えたに違いない。ところがそれをすると日本は降伏しない。天皇皇室がなくなったら日本はもはや日本でないからだ。そこで、「占領されている間に天皇皇室をなくされたらどうするのだ」ということで揉めた。反対派の主張は、「アメリカが天皇皇室の存在を認めると言わない限り戦うしかない」というものだった。これに対して、天皇はこうおっしゃった。

「わたしは非常に心配である。日本民族はみんな死んでしまわなければならなくなるのではなかろうかと思う。そうなったら、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができるか。わたしの任務は祖先から受け継いだこの日本という国を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本国民に生き残ってもらいたい」。「わたしのことはどうなってもかまわない。
たえがたいこと、しのびがたいことではあるが、この戦争をやめる決心をした」
(迫水久常『大日本帝国最後の四ヵ月』オリエント書房)
このお言葉に、ポツダム宣言受諾反対派は従った。昭和天皇でなければポツダム宣言を受諾して、終戦を全うすることができなかった。

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