政経倶楽部【東京】第86回例会2/2木(朝食会)

日時:2012年2月2日  開会:~ (開場:)
会場:ルポール麹町 東京都千代田区平河町2-4-3 TEL03-3265-5365 有楽町線「麹町駅」 1番出口より徒歩3分. 有楽町線・半蔵門線 「永田町駅」 5番出口より徒歩5分.
 

昭和天皇

■講演 岡田幹彦氏「昭和天皇」

●皇室は世界唯一の存在
日本の日本たる所以は、皇室の存在にある。我が国は建国以来、国家の中心に天皇皇室を戴き、その間、一度も断絶なく、革命なく続いてきた。日本以外にこのような国はない。世界唯一の存在だ。歴史上、天皇を超える実力者は現れても、天皇になろうとはしなかった。なぜか。私はその答えを昭和天皇のご生涯、特に、終戦の御聖断の歴史に見出せると思う。
大東亜戦争敗戦という日本民族最大の危機に対して、昭和天皇がいかなる思いでいかなる行動をなされたか。この歴史を学ぶことは、今日の平成の国難を打開する上で大きな指針となる。

●「終戦の御聖断」~ポツダム宣言受諾は昭和天皇なくして全うできなかった
 戦争は始めるときも大変だか、終わらせるときはもっと大変だ。ポツダム宣言受諾をめぐって賛成派と反対派が真っ二つに分かれ、御前会議(最高の意思決定機関)において非常の措置として天皇陛下の御聖断が下された。
 御聖断は、昭和20年8月10日と14日の2回。天皇の他の列席者は7名
(首相、外相、陸軍大臣、海軍大臣、参謀総長、海軍軍令部総長、枢密院議長)。
ポツダム宣言を受諾する旨の天皇の言葉に、全員が号泣した。
ポツダム宣言の諾否にこれほどまでに対立したのは、受諾した場合、天皇皇室を守れるか否かの1点にあった。ポツダム宣言は日本に無条件降伏を要求したものではない。有条件降伏だ。アメリカは初めは無条件降伏を求めた。ところが沖縄や硫黄島での凄まじい戦いや航空機や人間魚雷、回天による特攻作戦がアメリカに与えた心理的打撃は我々の想像を絶するものだった。無条件降伏を要求する限り、アメリカ軍人の犠牲は計りしれないということでアメリカ側は引っ込めた。その結果の13か条の有条件降伏だ。
 アメリカとしては、日本の戦いの原動力である大和魂、日本精神の核心である天皇皇室を永遠に抹殺したいと考えたに違いない。ところがそれをすると日本は降伏しない。天皇皇室がなくなったら日本はもはや日本でないからだ。占領されている間に天皇皇室をなくされたらどうするのだということで揉めた。反対派の意見は、アメリカが天皇皇室の存在を認めると言わない限り戦うしかない、というものだった。
 それに対して、天皇はこうおっしゃった。
「わたしは非常に心配である。日本民族はみんな死んでしまわなければならなくなるのではなかろうかと思う。そうなったら、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができるか。わたしの任務は祖先から受け継いだこの日本という国を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本国民に生き残ってもらいたい」。「わたしのことはどうなってもかまわない。たえがたいこと、しのびがたいことではあるが、この戦争をやめる決心をした」
(迫水久常『大日本帝国最後の四ヵ月』オリエント書房)
 このお言葉に、ポツダム宣言受諾反対派は従った。昭和天皇でなければポツダム宣言を受諾して、終戦を全うすることができなかった。

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